まず形式的に断っておくが、非常に長い駄文、自分語りである。
ここに投稿されている話の中でも長い方かと思われるので、注意されたし。




私が2歳から16歳ごろまで住んでいた、関西の都市部のある町で経験した怪異の話。

当該者である私が危機的状況に陥ったわけではなく、当時は恐怖心すらほとんど抱かなかったので、怖い話ではないかも知れない。
しかしまあ、間違いなくオカルトに属する話なので、気長にお付き合い願いたい。
と言っても、体験談以外の序盤と終盤は膨大なる蛇足的な考察なので、読み飛ばしていただいて構わない。
体験談の部分は※印で区切っておきます。





その町は、大げさに言えば奇妙な町だった。

…関西で「妙な場所」に住んでいたと書くと、「ああ部落ね、テンプレ乙」という反応を受けるだろうが、残念ながら?直接的なその手の話ではない。

以下冗長だが、後に関係するので少し説明。

そもそも江戸期まで明確な部落差別のなかった関東以東は元より、山陰や中国地方のそれよりも、関西の部落は抱えている歴史と問題が深いので、軽々に扱えない。
というのも建前で、正直都市部の混住が進んだ昨今では、彼らは身近すぎて、呪いや古風な儀式と無理やり結び付けるのはうんざりなのだ。

例えば、明確な数字を書くと特定できるのでぼかすが、そこそこ人口の多い近くの市内には、規模の大きい部落が最低7つも半径10km程の範囲にひしめいている。
それぞれの地区の人口を1万人としても、それだけで合計7万人と、市として成立するだけの数を軽く超える(先述のように混住が進んでいるので、部落出身者そのものはやや少ないが)。
だが無論、その市の名前を聞いて「部落だらけのヤバい町」などと考える者は、私を含めていない。
それぐらいが標準的な様相なのだから。

差別やトラブルは絶望的に蔓延しているが、だからこそオカルトネタにはできない。
何も知らない他県からの若夫婦が、部落内の新興住宅地に家を買って陰惨な目に合うといった、リアルに嫌な話ばかりである。

「どこが『そう』なのか」と地名だけを頭に叩き込んで、お互いに無用な付き合いはしない、というルールが部落を抱える地域には存在する。
それこそが差別に他ならないのだが、関西の都市部に住むとはそういうこと、結果としてどれだけ混住が進んでも部落はなくならないし、その中でも「本格的にマズい」地区は一層浮き彫りになる。
しつこいようだが、その最凶地区におけるトラブルも徹底して現実的で、オカルトの入り込む余地などない。

部落と聞いて私が思い浮かべるのはコトリバコなどではなく、単にガラの悪い古めの住宅地でしかない。
まあ、県北部の母親の故郷に、コトリバコに似たような部落伝承がないわけでもないが、それはまた別の話。




さて、ようやくオカルトめいた話を始める。
しかしまずは、舞台である私が住んでいたS町の地理について、また少し長く書かねばならない。

前述のように、私が住んでいたその町は部落では断じてない。
両親共に、場所は違うが県内の部落問題に敏感な土地から出てきた為に、住む場所には徹底して気を使っていたし、そもそもS町は昭和以降に山を削って成立したものだったからだ。
山を削ると言っても、同じ関西の千里や西神のような大規模なニュータウンではなく、海に近い丘陵地を整地しては家を建て、坂道や階段で無理やり繋ぐという、ニュータウン構想以前の宅地開発だった。

結果、S町は海沿いの鉄道や国道からぐねぐねと細い坂道が数本伸び、その道の周りに区画整理もおざなりに建てられた住宅が延々拡がるという景観になった。
平野や台地に住んでいる者から見たら、何でそんな狭苦しい生活をするのかと呆れるだろうが、ニュータウン構想が確立する以前のベッドタウンとしては特に珍しくもない、いわゆる「坂の町」だった。

私の住んでいた家の地区は、坂を登りきって、丘陵地が本格的に山になる手前の地区だったが、呆れたことに海沿いの駅から最短距離の道は車が通れなかった。
坂を登り切ると大きめの池があり、車道はそこで終わって池の周りの遊歩道になってしまう。
私の家の方面へ車で行き来するには、隣町へ迂回してから別の坂道を一気に登るしかなく、不便というレベルではなかった。
その坂道が通れなくなると他の地区からは実質隔絶された状態になり、実際、阪神淡路大震災の時には通れなくなった為、水道やガスの復旧が中心被災地よりも遅れるという山奥のような事態に陥ってしまった。

かように、都会とは言えないが間違いなく都市部の住宅地であるのに、一種閉塞的な町の環境を、私は子供心にも奇妙に思い、疎ましくも感じていた。

町の住人達もどこか不自然な関係で、通常こういう環境ならば強固になるはずの自治意識や連帯感に乏しく、件の池の畔にある自治会館は何年も使われないような、淡白な付き合いだった。
まあこの点は、音頭を取る土着の住人などおらず、昨今のニュータウンのように町ができてから移り住んできた家族ばかりだったので、当然だったかも知れない。

親同士の付き合いが希薄なので、子供達もあまり仲はよくなかった。そこそこに頭数はいたのだが、小学校に上がると、皆それぞれ別の地区や隣町に友達を作り、もっぱらそちらと遊んでいた。

子供の事で印象深いのは、何故か地区の子供のほとんどが秀才だったことだろうか。
地域偏差で見ると異常と言っていいほど偏っており、例えば私の代の同級生は地区に15人いたが、その内少なくとも10人が国立大に進学した。
ちなみに私はと言うと、中学あたりまでは良好な評価だったが頭打ち、3流私大に甘んじた。(まあ、兄が理系公立大に滑り込んだので家としては面目躍如)
教育ママゴンなどという言葉も廃れた時代だったが、そういう親が多かったようで、子供同士あまりつるまなかったのも、私を含め幼稚園から遠くの私立に通う者が多かった事が関係しているだろう。

子供の教育に熱心だが、隣保関係には消極的で、うちの親のように部落を毛嫌いして新興住宅地であるこの町を選んだ者も多い…と、要は「お高く止まった」住人が多く、その陰湿な空気が地理的閉塞感とあいまって、なんとも言えない嫌な空間を作り出していた。

正直、S町が古来からある古い町であれば、現在の私なら「何となくBっぽいな」と敬遠するような環境だった。
実際は、S町の空気は部落のそれともまた違った異様なものだったのだが…
その空気の正体、もしくは根源といったモノを、私はどうにも掴みあぐねていた。




あまりに長くなって恐縮なので、S町を取り巻く地理に関して、少し確信的な事を書こう。(かなり際どい、特定に繋がる情報なので分別を求めたい)

•S町や地区自体は部落ではない。
•しかし隣町の幾つかは、小規模で無名であるが部落と言える。
•S町から続く山は、平家落人伝説で有名である。
•また、近くには屠殺場跡がある。
•近隣を高速道路が通っているが、S町を避けるように大きくカーブし、トンネルになる。

これらの点を読んで、「何だ、結局『そう』やん」と感じられると思う。
私も実際、「普通に考えれば間違いなくアウト」だと思った。
しかし繰り返すが、S町が戦後開発された事実、あれだけ部落を恐れる親が選んだ地であること、また他の住人にも土着民はいないという事で、「そう」だと断定するのを躊躇わせる。

まあ、S町の後に関西に乱立した大規模なニュータウンも、ほとんどは「多少ややこしい土地や山」を開発したわけだから、地理的要素から極論すればニュータウンも元部落の場所があるということであり、S町もそういう土地だった可能性はある、と私は考えていた。




しかし町を離れた現在になったある日、私は部落ともニュータウンとも違う、S町の「特異性」に気づいた。

S町には、 神社仏閣がなかった。

正確には、S町と隣町の幾つかを含めた、周辺地域にである。

一つの町の中に神社仏閣がない、というのは別に珍しくない。
特にニュータウンにおいては、住宅地の中に神社仏閣がある方が稀だろう。
しかし、ニュータウンの隣町には必ずある。
上記のように、ニュータウンの土地は元々その隣町の土地であることがほとんどだからだ。
当然、古来からの集落であることが多く、氏神や産土神を祀る神社、地域の法事を司る寺がある。
部落であっても、むしろ部落だからこそ、神社仏閣はなければならない。

それが、S町周辺には全くない。
唯一の宗教的建造物と言えば、裏山の獣道に立つ、平家落人関係?の謎の石碑ぐらいである。
これも単なる道標かも知れず、きちんとした神社や寺は、10km近く離れた隣の隣町まで行かなければ一つもない。
その隣の隣町には、関西有数の名刹や式内社がゴロゴロしているというのに。

この事実に気づき、私は戦慄に近い驚愕を覚えた。

先述のように、S町の隣町は小さな部落であり、S町自体もその部落の持っていた土地なのではないか、と考えていたからだ。
つまり、S町はともかく、古来からの部落である隣町に、あって当然の神社仏閣がない、というのははっきり言って異常だった。

隣町も実は部落と言える程の歴史はないのかも知れないし、格別に信仰心の薄い土地だったのかも知れない…しかし、寺はおろか墓地すらないというのは?
あの地域では昔、住人が死んだらどうしてたのか…と、オカルト心を刺激する妄想に一時は取り憑かれた。

そして、最近になってまた一つ、オカルト的な疑問が出てきた。

「神社も寺もないって、霊道とか結界的にヤバいんじゃね?」

普通に考えて、無法地帯である。
しかもすぐ近くに、日本最凶の霊的存在の一つである、平家落人の霊場がある。
何か起こらない方がおかしい。

実際、私が経験したことは、その「何か」だったのだろう。
こじつけでしかないが、その結論はストンと私の腑に落ちた。

「ああ、だから俺、あんなのに会っちゃったのか…」と。






私のその体験は、笑い話のようだがUMAとの遭遇から始まった。
化け物や妖怪とは言わない、私が見たアレは単なるUMAである。

でっかいトカゲ。

小学校中学年の頃、蒸し暑い夏休みだった。
私は、父と並んで駅までのだらだら坂を歩いていた。
確か、病院に行っていた母を迎えに行く為だったと思う。
坂の始まりの池を過ぎて、周囲の家が疎らになる辺りで、私は何となく道の脇の排水溝を見た。

溝の中をソイツが猛スピードで走り去る、ちょうどその瞬間だった。

でっかいトカゲ。

としか言いようのない外観。
記憶上の体長は1mほどだが、子供の時の記憶なので実際はもう少し小さかったも知れない。
まあとにかくソイツが、とんでもないスピードで側溝を駆け抜けていったのだ。

瞬間、私は固まった。
「今、何かスゲえもん見たぞ!」という思いで頭は満杯だった。
フリーズした私を父が怪訝に振り返った時、10mほど先を歩いていた若い女性2人組が、「ギャー!ナニアレ!」と悲鳴を上げて溝を指差していた。
なお、この2人組によって、このUMAが存在することは確かである。

全く事態を飲み込めない父が顔面ハテナ状態であるのを見て、なぜコイツだけあんなスゴいモノを見なかったのかと、私は理不尽な怒りを覚えていた。

「…何やねん?」と父。
「…オオサンショウウオ」と私。

…違う。
違うが、当時の私の知識では、でっかいトカゲに類するものと言えばオオサンショウウオしか思い浮かばなかった。
後年、ググって調べるとミズオオトカゲが1番近い姿をしているが、ミズオオトカゲがあれだけのスピードを出せるかどうかは分からない。

まあ、現実的に考えれば、誰かが飼っていたオオトカゲを池に捨て、それが池と繋がる排水溝を走っていった、ということだろう。
しかし、当時の私はそんな外国の動物を個人がペットにできることなど知らない。
「何かスゲえもんが、この町にいる!」という衝撃に打ちのめされ、内心極度の興奮状態だった。

しかし実物を見ていない父に説明するのは無駄だと諦め、同じ理由でその後会った母や兄にも言わなかった。
件の女性達は、ひとしきり騒いだ後、何もなかったようにまたスタスタ歩き出していた。女ってドライ。




そんなわけで、でっかいトカゲの存在は当面私だけの秘密になった。
しかし、捕まえてやる、とは思わなかった。
あまりの大きさにビビったのと、あまりのスピードを見せつけられ、俺じゃ勝てないと最初から諦めていた。

ただ、もう一度見たかった。
私の夏休みの残り日数は、でっかいトカゲ探しに費やされた。

池が住処なのだろうと、子供ながら推察できた。
先述のとおり結構大きな池で、アヒルが数羽飼われて?いたこともあるが、数年でライギョとヤマカガシによって全滅した、物騒な池である。
池のすぐ脇から裏山が始まっており、平家落人の石碑に通じる獣道があった。
また、当時はそれが何なのか詳しく知らなかったが、獣道から行ける山の一角に児童養護施設があった。
更には山道沿いに門だけ残った謎の施設跡、ついでに麓の池の畔には一階が花屋だった廃アパート。
…と、今思い出しても、どう見ても心霊スポットです本当にありがとうございました、な場所。

池の探索は早々に限界を迎えたので、私は仕方なくこの問答無用な裏山に分け入るようになった。
謎の石碑や施設跡は、この時に見つけたものである。
腐っても都市部なので凶暴な獣の心配はなかったとは言え、我ながら勇気のあることだ。
ただ、廃アパートだけはどうにも苦手で、しかもそれが池に行くにも山に行くにも必ず通らなければならない道の脇にあったので、完全に夜になる前には探索を切り上げると決めていた。

しかし一度だけ、山から降りた時にはすでに日がくれてしまっていたことがある。
絶望的な気持ちで、私は猛ダッシュで廃アパートの前を走り過ぎた。

絶対に見ないと決めていたのに、通り過ぎる時、一瞬だけ視線を移してしまった。

…二階の一室の電気が点いていた。

部屋の中の人影まで見え、窓を開けようとしているようにすら見えた。

冷たいものが背筋を走る中、完全に泣きながら私は走った。

…先に言うが、これは本当に、単なる原因不明の心霊体験だったと思うし、本題とは関係ない、と思う。
一つの可能性は常に頭の中にあるが、多分別の話。
まあ、人生の中で一番怖い経験だったのは確か。

さて、家に駆け込んで少し落ち着いた私は、「あのアパート、まだ人が住んでるだけだったのかも?」ぐらい考えられる余裕ができた。

実は今でも、あのアパートが完全に廃屋だったのかどうか、自信はない。
まあ、一階の花屋は完全に潰れて、完膚なきまでに破壊されていたし、山に半分同化した二階に上がる外階段も酷い有様だったので、人が住んでいた方が恐怖ではある。
しかし、あの夜明かりが点いていた部屋だけは、昼に見上げても妙にこ綺麗で、やや色褪せてはいたがピンク色のカーテンが掛かっていたりと、僅かな生活感があったのも事実。
…思い出したらまた怖くなったのでやめる。ごめんなさい。

さて、その恐怖のアパートも昼間は見慣れた景色の一部に過ぎず、上記のように観察さえできるぐらいのものであり、私は次の日からも元気に山に登った。

そして多分、会ってはならない人に会ったのだ。




そろそろ、私はトカゲ探しに飽きていた。
他に目撃者がいる以上、私の見間違いや幻覚でないことは確かだったが、見つかるはずない、という諦めの方が大きくなっていたのだ。

そんな惰性的な状態で、私はその日も山道をトボトボ歩いていた。
門だけが残った謎の施設跡の前まで来た時、私はビクリとして立ち止まった。

門の向こうの草むらに、女が立っていた。

丈の長い茶色のワンピースと、黒い帽子、長手袋。
その時は考えもしなかったが、なんつーか、エ○バの証人のおばちゃんがよくしてるような格好だった。
ただ、女はかなり若く見えた。
深く被った帽子で顔はよく見えなかったが、ぱっと見の印象は「キレイなお姉さん」だった。

完全に私は女を凝視していたし、女も私の方を見ているようだった。

何でこんな場所に、という疑問は特に浮かばなかった。
住宅地とそれほど離れていなかったし、山道自体ハイキングで使われることもあったので、普段から完全に人気がない場所ではなかったのだ。
ただ、何となく入りづらい門の向こうに、当たり前のように女が立っているのは少し奇妙だった。

書き忘れたが、私は今でも極度の人見知りである。
子供だった当時に至っては、隣に親がいないと、知らない人とは挨拶さえできないヘタレだった。
というわけで、その時私はフリーズしていた。
女の存在に驚いたのもあるが、「一人の時に知らない人と目が合っちまった」状況を処理できず、バグっていた。
まあ、その間は時間にして数秒だったと思うが、何とか私の回路は「会釈だけして通り過ぎる」という対処法を捻り出した。
早速実行に移して、会釈した途端、また予期せぬことが起きた。
私のぎこちない会釈に、女が「こんにちは」と返してきたのだ。
当然、会釈したまま私は再フリーズ。
(…は?何考えてんのこの人?何で知らない人に対して話しかけれるの?意味わかんない意味わかんない…)

…この後も社交辞令を知らない私はフリーズしまくるのだが、話が進まないので省略して書く。

流れ上、女と会話せざるを得なくなった(と思い込んだ)私は、内心ウンウン唸って話題を探し、
「…そこ、入っていいんですか?」
と、マヌケなような当然のような疑問を発した。

…まあ、ここで「ここが私のおうちだったの」とでも女が言っていればホラー成立かと思うが、そんなこともなく、正直思い出せないような、つまらない会話が続いた。

結論的には、女がここにいた理由はさっぱりわからず、私の方はトカゲの存在とそれを探していたことを白状させられ、まあそのおかげで何となく私と女は仲良くなっていた。

女は少しくぐもった声で、「ヤエ」と名乗った。
名乗る時には苗字を言うのが普通だと思っていた私は、妙な顔をした。
「苗字は難しいから、言ってもわからないよ」と、ヤエは言った。
「…ちょっと、普通と違うし」
聞きながら、外人さんかな、と検討外れの事を私は思っていた。

私達は門の近くの岩に並んで腰掛けて、話していた。
夕方近くになり、気温はやや下がり気味でむしろ肌寒いぐらいだったが、私は無性に喉が渇いて、持ち歩いていたジュースを定期的に口に運んでいた。
急速に水分を摂っても、一滴の汗も出ず尿意もなく、すぐに喉はカラカラになった。
いつもは鬱陶しいほど群がる藪蚊の姿はなく、夏の間はどこにいてもBGMだった蝉の鳴き声も途絶え、奇跡のように静かだった。
ヤエはあまり喋らず、私は話し続けなければならないような強迫観念に囚われ、やたらと喋った。
主に、トカゲのこと。
ヤエは面白がって、トカゲの事を信じてくれたようだった。

それから、話題は自然とツチノコの事になった。
「私、ツチノコは見たことあるよ」
とヤエは言った。
私は、え~?と、思いっきり疑いの声を上げた。
正直、当時は獲物を呑んだただのヘビだと思っていたし、現在はアオジタトカゲ説にも傾いているが、要は私はツチノコに興味はあったが全く信じてはいなかった。
ツチノコより、あのでっかいトカゲの方が間違いなく凄まじい存在だ、という見栄もあった。
「見たっていうかな…うん、見たけど、ツチノコを『知ってる』の」
「僕も知ってる」
不貞腐れて私は相槌を打った。
ただ、私の場合はどんなモノをツチノコと呼ぶのか知っている、程度の意味だったが、ヤエの「知っている」はもっと深い意味があったのだと、今は思える。

ヤエが、何か変な苦笑を浮かべた。
今なら、自嘲的な、と形容できるだろうか。
「じゃあ、人魚は? 私、人魚も見たことあるよ」
「え~? 人魚なんかいないって」
「…いるんだよ」
いるんだよ、と言ったヤエの声は、何か凄く物悲しい余韻を含んで、虚空に響いた…というのも今になって脚色できることで、その時の私はほとんど聞いていなかった。
偉そうに言うと、その時私は一気に幻滅していたのだ。
当時の私にとって、人魚とは「おとぎ話」の中の「純然架空」、「軟派」な存在であり、自分が信奉するところのUMA、健全な小学男児が憧れるかっちょいい未確認動物、「硬派」な存在とは一線を画するものだった。
その人魚()をUMAと同列に語るこの女に、UMA学の真髄を叩き込んでやらねばなるまい、と当時から釣合痴呆の気があった私は俄然、教条主義的使命感に勢い込んだ。
「だって、人魚なんかさ…」
で、黙り込んだ。
…人魚って何だろう。
UMAの事は、当時の学力で読めるだけの資料(主に漫画)を読んでいたから、いっぱしの口は叩けた。
…人魚は、UMAじゃないからよく知らない。
下半身が魚のお姉さん。
しかも、お姉さんの部分は例外なくエッチな水着。
健全な小学男児が触れてはいけない領域である。
エッチな水着に興味を持ったしても、それがバレた時点で、クラス内での負け組確定。
「…エロいやん」
大人にとっては褒め言葉?だが、子供にとっては最大級の侮辱語。
ヤエはクスクスと笑っていた。

…何だかほのぼのしてきたが、当時の私にとって、ヤエはほのぼのした存在だったのは間違いない。
冒頭に書いたように、私の恐怖体験そのものは、これまではあの廃アパートの件以外にはなかったのだ。

少し後になって、私はより恐ろしいものを目にすることになるが、それはまあ後述する。

その廃アパートが恐怖の館に変貌する時間が迫っていたので、
「ヤバい、もう帰らなきゃ」と私は立ち上がった。
ヤエはすました顔で、「バイバイ」と言ってくれた。

そして、歩き出した私の背中を、思い出したようなヤエの最後の言葉が追いかけてきた。
その時は、気持ちが急いでいたこともあり聞き流したも同然だったが、その声は、今も、そしてこれからも永遠に私の耳にこびりついて離れないだろう。
記憶とは違って、こびりついたその声は、再生するたびに凄みを増す、地の底から響くような恐ろしい声だ。



「人魚ねぇ…私、食べちゃった」




今まで眠っていたように、蝉が再び大合唱を始めた。




その後、私は何度かヤエに出会った。
ヤエは池や山の周りをぶらぶらしていることが多いようで、大抵、池の畔で鳩に餌をやっていたりしていた。
お互いに注意してなかっただけで、これまでもすれ違ったりしてたんだろうな、と私は思った。
会うたびに、立ち話程度の会話をした。
クラスメイトが近くで遊んでいる時などは、照れ臭さから無視することもあったが、ヤエは気にしていないようだった。
夏休みが終わって、池や山の方へ行くことが少なくなってからも、数回は顔を合わせる機会があった。
「トカゲ、いた?」
「…諦めたって、もう~」

まあ、私が当時もう10歳も老けていれば確実に恋していただろうし、実際にある意味で私とヤエの年齢差は問題にならないので、恋愛関係を目指すチャンスはあったと思う。
しかし実際問題、健全な小学男児としては年上の女に現を抜かすよりも、ゲームとかゲームとかゲームとか、やるべきことが多岐に渡っていたので、次第に池や山へ足を伸ばすことはなくなっていた。
そして、中学に上がる頃には、自分でも不思議なほど、ヤエのことは忘れていたのだ。




大トカゲを目撃した場所から少し坂を下った所に、小さな雑貨屋があった。
中学に入ってしばらくしたある休日、私は文房具を買い求めて、ぶらりとその雑貨屋に足を伸ばした。
買い物を済ませた帰り道、池に着いたところで、ふとヤエのことを思い出した。
久しぶりに会ってみたい、という率直な願望を照れ臭さが押し殺すような葛藤があって、無駄にグズグズしていたが、結局足は自然と、初めてヤエに会った施設跡に向かっていた。

トカゲ、出てこねーかなーなどと思いながら(嘘)歩いていたその時、

「ぅおぉああああぁぁあああああーーー!!」

物凄い悲鳴が、前方から聞こえた。

白状すると、腰が抜けた。
それぐらい凄い声だった。
男か女なのかすらわからない、頭の芯から突き抜けるような、絶叫。

続いて、

「あかん!あぁーかん!その人、ちぃかずいたらあかぁあん!オバケやでえぇーー!!ぅぉおオバケやぁあぁあぁーーー!!」

金切り声の女の悲鳴。
どうやら、先ほどの絶叫も同じ女だったようだ。
私がたじろいでいると、道の前方から物凄い勢いで、白い人影がぶっ飛んできた。
私は思わず死まで覚悟したが、よく見ると勢いの割りにそいつの走る速度が遅いのに気づいた。
近くまで来るとそれも当然で、白いジャンパーを着た70歳ぐらいの老婆だったのだ。
顔はこれ以上ないほどに恐怖で引きつり、限界まで口が開いていた。
その口から本人は叫び声を出し続けているつもりなのだろうが、全身を限界以上に酷使している体力では、ヒューヒューという苦鳴しか出てきていなかった。
私とすれ違う時にはもうヨレヨレもいいところで、このばーちゃんここで死ぬんじゃないか、と私は確信に近い心配を抱いた。

私には見向きもせぬまま、何とか老婆が走り去った時、今度はガヤガヤと、10人ほどの団体が慌てた様子で駆け下りてきた。
皆、老婆と似たような年格好で、どうやら老人会か何かのハイキングの途中らしかった。
中の一人の男性が私を見つけて、
「あ、あ、あ、今、いま」
「あっち行きましたけど…」
…我ながら冷淡な態度だったとは思うが、多感な思春期の、人見知り厨房の限度である。
「そ、そうか…ゲホッ…あー…」
「コーさん、ワシ行っとくわ」
思いの外身体弱そうなじーさんを労って、別の頑健そうな爺様が、元気に駆け出した。
残りのじいちゃんばあちゃん連中はオロオロと、頑健爺様を追いかけようとしたり、私の隣で咳き込むコーさんを気にかけたり、どっちつかずな状況になった。
どっちつかずばあちゃんの一人が、
「マキちゃん、急にどうしたんやろねぇ」
と、誰にともなく聞こえよがしに言った。
流れ上仕方なく、私はそのばあちゃんに
「…何かあったんすか」
と面倒臭く聞いた。
「それがねぇ…」

聞こえよがしばあちゃんの話は、まあ悲鳴の内容から何となく予想できた通りのことだった。
ハイキングの一行がこの先の辻で一人の女性とすれ違い、それぞれ適当に挨拶したりしてたのだが、最後尾にいたマキエさんが女性と顔を合わせた瞬間、異変が起きた。
女性もマキエさんも立ち止まり、マジマジと見つめあっていたかと思うと、突然マキエさんが絶叫を上げ、意味不明の事を叫びながら猛ダッシュで逃げ出したのだ。
あまりのことに、他のメンバーは一瞬呆然とした後に、とにかくマキエを止めろとわらわら駆け出した。
件の女性はマキエさん絶叫の間、困ったような顔をして立ち竦んでいたが、聞こえよがしばあちゃんが最後に振り返った時には、辻を曲がって児童養護施設の方角へ歩きだすところだったらしい。

「いつもは、ほんにしっかりした人やのに…あの人の何が怖かったんやろか」
「…怖い人やったんですか、その人」
完全に予想はできていたが、私は義務的に聞いた。
「いやー…そんなに…ちょっと、変なカッコやなおもたけど…その辺の、可愛い女の子やったと思うけど」
まあ、ヤエだろうな。
私はそう思いながらも、あまり知ったような態度もおかしいので、そうですかーと生返事を返していた。
「ほ、ほなワシらも行くから…あんたもどこ行くか知らんけど、やめといた方がええと思うで」
と復活したコーさんに言われ、私はそれにもあーはいと生返事で、彼らと別れた。

彼らが去った後、私は昔ヤエと話した岩に腰掛け、しばらくぼうっとしていた。

まあ、こういう日はやめといた方がいいよな。
と結論を出し、私は山を降りた。

気分は完璧に沈んでいた。
ヤエが一種の変人だというのは、会った時からそれなりに気づいていたが、その漠然とした不安に、思い切り太鼓判を叩きつけられた気持ち。
どこの町にも、精神疾患や迷惑な隣人など、「面倒臭い人」というのが一人や二人いるもので、S町でもそれは例外ではなかった。
ヤエも、そういう「見ちゃいけません」な人だったのか?
マキエさんが致命的な勘違いで発狂しただけ、という可能性はあったが、まあヤエが面倒臭い事情を抱えていると考える方が自然だった。

昔会っていた時は、そうかも知れないと思いながら、別に関係ないと割り切れる子供の純粋さみたいなものがあった。
今は無理だよなぁもう会えないよなぁ、と中二病を患っていた私はニヒルにカッコつけ、まあどうでもいいよな、と身も蓋もない投げやりな考えに浸ったりしていた。

…それからも、私は結局ヤエに会っていない。

帰り道、廃アパートの前を通りながら、ちらりとあの部屋を見上げた。
煤けたピンク色のカーテンが、ふわりと動いた気がした。
そう言えば、夜にこのアパートを見たのはあの時の一回だけだな、と私は何となく思った。
あの明かりは、案外毎日点くのかも知れない。
今度試しに、夜来てみるかなどと考えながら、結局それも、現在まで実現していない。




マキエさんは坂の下にある自宅近くまで根性で走り抜いた後、頑健爺様に救助されたが、結局極度の疲労で救急車を呼ばれたらしい。
その事を、私は母から聞いた。
意外にも、母はマキエさんと同じ病院に通っていた接点があり、その繋がりで母にも連絡が回ったようだった。
「助かるみたいやけど、入院せなあかんって」
「ふーん」
と、当時の私は生返事連発症だった。
会話が一瞬で途切れたのが不満だったのか、話したがりのおばちゃんである母は、

「マキエさんって昔、池のところにあった花屋さんやってたんやって」

と、あまり脈絡のないことを喋り出した。

その瞬間、私の中で何かが繋がった気がした。

「あの、ボロボロの?」
と、内心の動揺を隠しながら聞いた私に母は頷き、
「うん、20年ぐらい前にたたんだらしいけど」
「あの、上のアパートってさ…」
私は務めて何気無く聞いた。
「今も誰か住んどるんかな?」
母は鼻で笑い飛ばした。
「住んどるわけないやん」
「…前、電気点いとったんやけど」
「アホなこと言い、あそこの大家さんもマキエさんやってんで、店たたんだ時にアパートもやめとるわ」
「…あー、なら勘違いやなー」
普通なら。常識的に考えて。
しかし、そういうものが一切通用しないモノというのは存在するわけで。
ヤエは多分、そういうモノの一つだったのだ。
私の中で、それは少しずつ組み上げられていった。




しかし、待てよ。
中二病特有の先走りということもある。

ヤエは確かに変なカッコしたヤンデレ系だが、それだけと言えばそれだけだ。
確かにマキエばあちゃんは死にかけたけど、あの時見たのがヤエだった確証はない。
これだけの材料で、ヤエを人外魔境、ノーサンキューな存在と決めつけていいものか。

マキエばあちゃんの見舞いにいきなり行くのは変な話だし、やはりヤエにもう一度会う必要があるんじゃないか…と、私は考えていた。
会ったところで、何を話すのか何を聞きたいのか、自分でもまとめられてなかったし、まあ結局下心やろと言われればそれまで。

その頃の常として、結局何一つ自分では行動せぬまま、怠惰な日々が過ぎた。




確信を得る機会は、唐突にやってきた。

中学で地域研究部とかいう名前負けの文化系最底辺団体に所属していた私は、それでも結構精力的に部活動に参加していた。
その学期における部活の課題は、自分が住んでいる町の歴史をまとめること、だった。
今考えれば、普通に部落出身の部員もいるのに、阿呆な顧問である。

それはともかく、歴史らしい歴史が50年程度しかないS町住まいの私には楽な課題だった。
ちなみに、序盤に書いたS町に関する私の知識は、この時の研究が土台になっている。
自治会がしっかりしている町なら、議事録や自治会がまとめた町史のコピペで事足りるのだが、S町は先述の通り、その点非常に心許なかった。

まず、話を通すべき自治会長が誰なのかがわからない。
両親や知り合いの大人に聞きまくって、何とか連絡簿を入手して電話をかけた。
本人も自分が会長だったことを忘れかけている状態だったが、割りとすんなり応諾してくれた。
まあ要約すると「多分自治会館の中にそういうのあるんで、鍵開けとくから勝手に探せ」という職務放棄スレスレの笑えない話ではあったが。

自治会館は、廃アパートのほぼ対岸の池の畔にある。
何年も使われてないという噂は真実だったようで、はっきり言ってこちらも廃墟寸前だった。

建て付けの悪い引き戸を半ば力尽くで開け、中に入る。
玄関の小部屋を抜けると40畳ほどの大広間、その右手に8畳の部屋が2つくっついている造りだった。
とりあえずざっと全ての部屋を見て回り、最後の8畳部屋の片隅に、小さな本棚を見つけた。
その本棚は拍子抜けするほどスカスカで、ほんっとにこの自治会何もしてないんだなと呆れたが、役に立ちそうな2冊のファイルを手にして、家に帰ることにした。

今思い返せば、この時ファイルの内容をその場で確認しなくて本当によかったと思う。

もしそうしていれば、私は恐らく帰りにあの廃アパートの前を通ることができなかっただろう。




自分の部屋に上がって早速、私はまず薄い方のファイルを開いた。
それは結構立派な造りの表紙に、結構立派に「S町史」と書かれている、そのものズバリ、私が求めていたブツだった。
ところがギッチョン、薄さからある程度覚悟はしていたが、中身はA4用紙ただ1枚、それもスッカスカな年表のみという代物だった。
…何だコレ。つか、何だこの表紙。

これはもう一つも期待できんなあ、とやさぐれた気持ちでそれを手に取った。

クソ町史と違って、それは市販品のアルバムだった。
特に題名も書いていなかったが、まだ自治会が機能していた頃にS町の様子を撮影した写真がまとめられているアルバムに違いなかった。
ちゃんとした町史を発行できれば、併せて写真集でも出す気だったんだろう。

まず表紙をめくった1枚目に、自治会発足時と思しき集合写真。
その後会議の様子などが続いて、町内の公園で行われている盆踊りや清掃運動など、ああこの町にもこんな時代があったんだ、と目頭が熱くなる(嘘)写真もあった。

その後も学校行事の様子など公的な写真が続いたが、最後の20枚ほどは町内の様子を写したスナップ写真だった。

まあ数十年前の写真ばかりなので、イマイチピンと来る場所も少なく、もしかしたら若かりしコーさんあたりが写ってたかも知れないが、興味の失せた私はもう惰性でページを繰っていた。




その動きが、ある1枚の写真を目にした時、ピタリと止まった。




あの、廃アパート…
いや、若きマキエさんが切り盛りする花屋を写した写真だった。




私は呼吸を止め、その写真の「その箇所」を、3cmまで目を近づけて、歯を食いしばり、数十秒、凝視していた。




そして、

不意に、私は、

猛烈な勢いでアルバムを閉じ、机に叩きつけた。

転げるように椅子から立ち、勢いのまま部屋の隅に突進し、畳んでいた布団に突っ伏し、悶えた。

呼吸はずっと止めていた。

そうでもしないと、マキエさんのように叫び出したい衝動を抑えられなかった。




その写真に何が写っていたのか、詳しく書く必要はないだろう。




オープンしたばかりの花屋を後ろに、満面の笑みを浮かべてゼラニウムを掲げてみせる、若いマキエさん。

花屋の造りは、廃墟となった今と同じだった。

山の斜面に沿って奥行きが長い2階のアパート部分は、そのため山にめり込んでいるようにも見える。

2階には、花屋のウィンドウの脇にある細い外階段を使って登る。




その外階段の中ほどに、それは立っていた。




部屋から降りる途中にカメラに気づいて踵を返したのか、

部屋へ上がる途中に気配に感づき振り返ったのか、

少しボヤけたモノクロ写真でも、半身になった女の横顔は、はっきりと確認できた。



形こそ違えど同じように地味なワンピース、黒っぽい帽子、長手袋。




今と全く同じ顔をした、40年前のヤエだった。



人魚の肉を食べた者はどうなるのか、

その時の私は既に知っていた。






…さて、ここからは再び、大いなる蛇足である。



S町の周辺に神社仏閣がない謎を解くために、私はまず、同じように神社仏閣がない地理を考えた。

摩天楼のど真ん中にも、大田園の只中にも、特に神社というものは割りとあるものである。
ちょっと迷うような問題だが、これは案外早くに確信めいた回答に辿り着いた。

それは、神社の中。
神域と書いた方がいいだろう。

例えば、奈良県の三輪神社や滋賀県の御上神社などが有名だが、「御神体」と「神域」と「山」が全てイコールで結ばれる神社がある。
特に三輪神社は、御神体である三輪山の麓に神社建築が建っているが、そこには拝殿のみで本殿はない。
三輪山全体が本殿でもあるので、建築する必要がないのだ。
そして当然、山中にも神社建築はない。

S町周辺は、この三輪山と同じようなものではないかと、私は考えた。
要は、結界の盲点にあるのではなく、そここそが広大な結界、神域の中なのではないか、と。

大部分が丘陵地であるが、海沿いの町であるS町周辺を囲むように神社を配することはそう難しくはなく、地図を広げて図線を試してみても、そこそこいい感じの結界を張ることができる。

では、何故このような結界を必要としたのか。

…私が出会った「彼女」を封じるため、というのは安直に過ぎるとは思う。

ただここで、もう一つ、S町結界を構成する内の一社である、小さな小さな神社を紹介したい。
その神社の名前も由緒も私は諳んじることができるのだが、あまりに具体的なので特定防止の為、社名を書くことは控える。
その神社が現在の様式に整えられたのは江戸時代なのだが、それより遥か昔の創建には、平清盛が関わっているという。
平清盛と言えばまあ、例の平家落人と結びつけたくもなるが、それはひとまず置いといて。
平清盛は厳島神社の再生に代表されるように、海神(特に女神、弁才天)信仰で有名であり、その小さな神社も、海の女神を祀った神社であるのだ。

問題は、その場所がS町の裏山より更に数km内陸に上ったところに鎮座しているということ。
なぜこんな内陸に、海神の神社があるのか。

その神社の由緒には、「この神社創建された時代、この神社まで海が広がっていた」とある。
神社の御神体はいわゆるさざれ石、海波によって侵食された岩塊なので嘘ではなかろう。
千年前から、海は10km近く後退したのだ。

神社の境内から、S町の丘陵地がほぼ見渡せる。
丘陵地の麓は、部落と呼ばれることもある、S町の隣町が広がっている。
千年前、そこは全て海の底だったのだ。
そして、S町の高台、私が「彼女」と出会った裏山の辺りは…

入江に浮かぶ、小さな島になっていたに違いないのである。
そして、場合によっては、その「島」は結界に囲われた未踏不可侵の「神域」であった可能性がある…

「神域の島」を見渡せる海女神の社…これは、小さな厳島神社に他ならないではないかと、私には率直に思える。
本当の所はわからない。
しかし、いかにも平清盛が考えそうなことだとも感じるのだ。

そして、「彼女」がいつからあの山に住んでいるのかもわからないが…
人魚伝説、人魚を食った女の話、そして海の女神の伝承は、各地で奇妙にシンクロする。
そして、「彼女」が平清盛に祀られた存在であったならば、あの山に平家落人の伝承が残ることも、当然のように受け止められるのである。



暗示じみた禅問答はたくさんだと、もう一度S町に行って裏山を踏査したくなる時もある。

しかし、どうしても行けない。

あの廃れた花屋の二階、古びたピンク色のカーテンの奥で、
「彼女」が20年前の姿のまま、寂しく笑っている姿を思い浮かべてしまったら。







アホ長くてホンマすいません、ご笑読ありがとうございました。



投稿者::r_m_j