いきなり話しかけられると、誰でもビックリするものです。


私がこの街に引っ越してきて1ヶ月目のある日、

自宅から駅へ向かっているときに

頭上から突然こうやられました。

「お嬢さん、たーすけてー!私のタマシイが悪いやつにとらえられているのー」

見ると、目の前には一軒家。その2階のバルコニーに

寝巻きを着た20代の女性がちょこんと腰掛けております。

とにかく、いきなりのできごとで肝を冷やしました。

お嬢さんと呼ばれましたが、当時すでに30歳を超えていた私は

半分からかわれたのかと思いました。

だって、どう見ても、あちらの方が 若いんですから。

件の女性は、どこか弱々しい、儚げな声で

「たーすーけーてー」と叫んでいます。

私に助けを求めたことは明白ですが、目の焦点はこちらに

向いておりません。視線の先は宙をグルグルとさまよっています。

「たすけて~!」という割にはニヤニヤしており

どうみても本気で困っている風には見えません。


寝巻きと書きましたが、ヨレヨレの「ネグリジェ」と

言ったほうがふさわしいものでした。

昭和30年代のものかと思われるほど古臭いデザイン。

くすんだピンク色の女性用の寝巻きでした。


彼女は今度は歌を歌い始めました。


「ルルルー、ルルルルルー、ルラルールルルラー」

この時、私は「あ!」と察しがつきました。

幽霊でもなんでもなく、実はちょっと気の毒な人なんだと。

その後、何度も

「お嬢さん、たすけてー、わたしをたすけてぇー」と叫びます。

助けてという割には、声に緊迫感がありません。

まるで異次元の世界から飛び出してきたような人物です。

きれいな、整ったお顔をしていらっしゃるのです。

しかし、どうもこの世のものとは思えません。



申し訳ないけれども、私は何もしてあげられないと思い、

駅に向かいました。

その後、一週間に一度くらいの頻度で「助けてー」と

やられるようになりました。

もはや、ある意味「おなじみさん」です。

「ルルルールルルルー」という歌い声も、よくよく聞けば、

ブラームスの子守唄(※)のような気もしますが、

定かではありません。


ただ、まあ奇妙だけれど、怖がる必要はないのだろう。

そう思っておりました。



ある日、近所に住む顔見知りの主婦から聞いたのですが、

例の「たすけてー」のおうちは半年前に 家屋敷を引き払って

出て行ったそうなのです。

今は誰も住んでおらず、ものけのカラ。


つまり、私が越してきた頃には、

すでにこの街からいなくなっていた・・・。

それを聞いて、私は頭が混乱しました。

だって、昨日も見たんですもん。 この目ではっきりと。

もはや、慣れっこになっていた私は、こともあろうに

「どうもー」とかなんとか言いながら軽く会釈していたくらいです!

それが半年前に出て行ったって・・・

私が見た、あのネグリジェの「ルルル~たすけて~」の人は

いったい何者だったのでしょうか?


※ブラームス 「五つの歌曲 Op.49 第4番 子守唄」



投稿者:フワフワ