大学一年の夏、入っていたテニスサークルで長野の菅平高原に合宿に行ったときの話。この合宿というのが、7泊8日朝起きてから日が沈むまでずっと練習漬けという、「テニサー」らしからぬものだったんだけど、毎年4日目だけは早めに練習を切り上げて夕方から自由に遊びの時間にしようというのが慣例だった。自由にとは言っても、こういうのは二三回前例ができると翌年それをわざわざ変えるのも億劫なもので、実際には、コント大会、ゲーム大会、夕食を挟んだのち肝試し、風呂入ってから飲み会と、遊ぶ内容もそれを始める時間も決まっていたのだけれど。

肝試しを始めたのは、確か7時だったと思う。夕食を食べ終えた後、電気を消して暗くした大広間に集まり、先輩のする怖い話を聞いて、きゃあきゃあと怖がったり怖がってないフリをしたりしている内に日が暮れ真っ暗になったので、それから近くの雑木林に向かった。帰りは徒歩だったが行きは宿泊所のオーナーがバスを出してくれた。

肝試しといっても、廃墟の近くで写真を撮ったりお墓の前に何かを置いてくるとかいったことはなく、雑木林の中の、昼間歩けば10分ほどで抜ける道を、2、3人が組になりスタートをずらして歩くという可愛らしいもの。ただ、月の光以外ほとんど灯りが届かず足元が危ないので、二年生の男子が日の暮れる前に先に行き、合宿前に100均で大量に買っておいたサイリウムを誘導灯代わりに置いてくる。そして、そのままコースの各地に散らばって脅かし役をするというのがお決まりになっていて、俺も次の年明るい時間に同じ場所へ行ったんだけど、昼間見るその道は、怖くないどころかむしろ歩いていて気持ちの良い散歩道だったし、実際ジョギングや散歩をする地元民とも何度かすれ違った。

とにかく、そういう、何か出そうな雰囲気のほとんど無い場所だったんだけど、宿泊所からのバスの中で二年三年の先輩達が口を揃えて言うことには、コースの途中に一箇所だけ嫌な場所があるらしい。スタート地点から5分ほど歩いたところに道が十字に交わっている地点があって、そこで右を見てはダメなのだと言う。「○○さんが、右から近付いてくるハイヒールのような足音を聞いた」のだとか「右に白いワンピースを着た女の人が立っているのを見た」のだとか。俺自身幽霊とかを否定したり平気な訳ではなく人並みには怖いんだけど、でも初めて聞くような名前のOBさんの体験談を聞かされてもなんだかうさんくさく、あまり真剣には聞いていなかった。かと言ってわざわざ右を見て無駄に怖い思いをするのも嫌なので、「スタートしてから5分後、十字路で右を見ない」とだけ心に留めておくことにした。

スタートの順番は確か全20組中15組目くらいだったと思う。順番を待つ間、怪談を話し合ったり、先にスタートした男子の裏返った叫び声を聞いて笑ったりしていた。40分ほど経ってから順番が来た。バスでくじで決めた組は、俺と女の子二人。「怖いから真ん中で手をつないで引っ張っていってほしい」との願ってもないお願いにスケベにもラッキーと思った。のはスタートするまでだった。一度腹を括った後は女の方がよっぽど強いんだろう。そしてときに怖い。「この恐怖を避けられないならいっそ…」と覚悟を決めた二人は、鼓膜の裂けそうな叫び声をあげながらゴールまで全速力で駆け抜けていくトリッキーなスタイルを選択したらしい。「引っ張っていってほしい」と頼んできたはずの女の子二人にぐいぐいと引っ張られながら、「たまに街中で見る、犬に引っ張られてはちゃめちゃになってる飼い主はこんな感覚かなー」と場違いなことを頭に浮かべていた。

二分ほど歩くと(走ると)、地面に置かれたサイリウムがぐちゃぐちゃになっている場所があった。先に行った組が誤って蹴ってしまったらしい。前の道に視線をやると続くはずのサイリウムが置かれていなかったので右か左に道があるのだろうと、まず右に目をやった。
目をやってしまった。

『5分後十字路で右を見ない』

右に首を向けた瞬間「やばい」と思った。
が、結論から先に言ってしまえば、幽霊も妖怪も火の玉も見ていない。脅かし役の二年生の先輩が、夕方の内に木の枝から糸か何かを使って吊るしたのだろう、真っ赤な傘が開かれた状態で目の高さに浮いていただけだった。
何も見えなくて良かった。そういえば、そもそも十字路には5分後に着くと言ってたもんな。いくら走ったといっても暗闇の中サイリウムを頼りに進んできたのだから、小走り程度の速さだっただろう。まだ二分も経っていないで着いたということは、ここも確かに十字路だけど、もっと進んだ先に別の十字路があって、先輩達はそこの事を言っているんだろう。次こそは右を見ないようにしよう。危なかったー。

自分の中でそう納得し安心してから、蹴られた先ほどのサイリウムを再びよくよく見直してみると、元々左を指す矢印の形に置かれていたことが窺い知れた。左の道に進んでからも両手の犬、もとい、女の子二人はひどい悲鳴をあげながらぐいぐいと進み、先に出発した組に苦笑いをさせながら三組も追い抜かした末、昼間歩けば10分かかる道を暗闇の中5分でゴールした。

ゴールを抜けた先は、空一面に広がる星空の見える開けた原っぱになっていて、先に到着した組が円座して、「あの橋のところに隠れてたの○○さんかな」「あの気持ち悪い叫び声お前かよ(笑)」などと、興奮冷めやらぬまま話していた。都会の中ではなかなか見られない星空と、肝試しの興奮とで、その広場はそれはそれで毎年盛り上がるのだろう、20組全組が広場に到着してからも3、4の円を作ったまま15分ほどは帰ろうとしなかった。そうすると初めの方に着いた組は大分興奮も冷め、繰り返される同じ話にも飽きてくるのだろう、誰かが「そういえばさ!十字路で右見た奴いる!?」と話題に出した。みんな心のどこかで気になっていたのか、その声はすぐに伝播して、他の円でもそれを話題にしだした。右を向いてしまってから「十字路どこだー、十字路どこだー」と目を皿にして進んだ俺も、残念ながらあれが例の十字路だったのだろう、としぶしぶ観念し名乗り出た。右を見たのは俺含め三人。でも三人とも何も特別なものは見てないと言うので「あぁ、まぁやっぱりそんなものだよねー(笑)」と、みんな安心したりがっかりしたりしながらその話題を終えた。

その広場を出た後は、進んで来た道を全員で歩きながら戻り、コースに隠れたまま放ったらかしの二年生を最前列が、脅かすために配置した小道具とサイリウムを最後尾が回収していく。歩いていくと、例の十字路にまで来た。「来るとき左に曲がったということは帰りは見てはいけない右の道を全員が真正面から見てしまうことになるけどそれはセーフなのか?」なんて考えたら、やっぱり嘘っぽい話だよなーと思った。その時ちょうど、右を見たと言った一人が近くにいたので「あれ。赤い傘無くなってるね」と言った。
「赤い傘?」
「赤い傘。右側に糸かなんかで吊るしてあったやつ」
「……いや、そんなのあったはずないよ。だっておれら運悪く余り組で男二人の組だったから、ちょっとふざけて右側の道進んで色んな場所見てきたんだよ」
「え、でも見たよ。二年生イタズラ好きっていうか悪ふざけが好きだから絶対こういう場所にこそ仕掛けしてるよ(笑)」
「あの人達頭おかしいからその理屈はすごい説得力あるけど(笑)でもほんと無かったよ。」
見た者と確かめた者とでは水掛け論の域を出ず、後で二年生の男子に会ったら訊いて確かめることにして、その話は保留にした。

宿泊所に帰ってから、風呂の時間を40分設けた後で飲み会を始める予定だったんだけど、一年生のまいちゃん(仮名)という子が、肝試し以降様子がおかしいらしい。ずっと元気が無く、風呂を上がってからは泣き続けている。普段ニコニコと明るい子なだけにその様子が少し心配だったので、その子が落ち着いてから始めることになった。

30分ほど遅らせ、10時頃から始めたと思う。乾杯を済ませ少し落ち着いた頃合いに二年生の男子を捕まえて赤い傘の仕掛けがあったかどうか、さっきの水掛け論の相手と一緒に聞いてまわった。一人目は「してない」、二人目も「してない」、三人目も「してない」。でも、日頃から悪ふざけが大好きな人達なので「怖がらせるために隠してるんじゃないか」という疑いがどうしても晴れきらず、二年の中でも例外的に紳士的で優しい先輩に訊いて、それを結論にしようということになった。
「十字路のところに赤い傘吊るしてありましたよね」
「ううん、まさか。してないよ。何でかは俺らも詳しく知らないんだけど、あそこの場所は仕掛けも脅かし役も配置するなって言われたことあるから。だからやってないよ、俺らの代がやりそうだっていう疑いは分かるけどね。日頃の行いだね(笑)」




長々書いてきて、俺自身が体験した話は実はこれだけ。みんなが見てない赤い傘を見たという少しだけ不思議な話。合宿の後半でまた何か不思議なものを見たりケガをしたりもなかった。だから、見間違いかなとか見間違いじゃなくても害が無ければまぁ良いかなと、すぐに気にしなくなった。



俺の中でこの話が不思議な体験談から怖い体験談に変わったのはそれからほぼ一年後の二年生の春。
同期は元々40人以上いたんだけど、一年間で10人ほど辞めちゃって、さっき書いたまいちゃんも冬頃に辞めてしまっていた。ただ、辞めた内の何人かとは変わらず連絡とったり一緒に授業出たりと関係を続けていて、二年生の春にその中の一人、まいちゃんと一番仲の良かった女の子とご飯に行く機会があった。どういう話の流れからだったか肝試しの時の話になったので、「赤い傘が吊ってあったのにみんな見てないって言うんだよ。絶対仕掛けだと思ったんだけど、後々考えたら、出るって言われてるのって白いワンピースの女の人の幽霊だし、脅かすための仕掛けだとしては変だなと思って。今でもちょっと不思議だなー」となんとなく話すと、驚いた顔をし、少し考えた後、みんなには内緒にするという約束でこんな話をしてくれた。


「みんなには言わないでね。気味悪がられるのが嫌でほとんど人に言わないらしいから。まいちゃん昔から幽霊とかが見える体質で、肝試しのときも見えちゃったんだって。あの、右見ちゃダメって言ってた曲がり角あるでしょ?見たくない見たくないと思って、ずっと左下向いて歩いてたら、その曲がり角の左側に、真っ赤な傘を差した白いワンピースの女の人がしゃがんでて、こっちをにらみ上げてたんだって。
とっさに目を逸らしてそのまま通り過ぎて、その後ゴールの広場からスタート地点まで戻る時もずっと友達の顔だけ見て話しながら通り過ぎたんだけど、その後帰りはバスじゃなくてみんなで宿まで歩いて帰ったでしょ?その時ハイヒールの音が後ろから聞こえてきたと思ったら、一人一人の顔を順々に覗き込むように睨みながら歩いてくるその人がいたんだって。でも、女の人がまいちゃんに追いつくよりも先にまいちゃんが宿に着いて、宿の中の他の宿泊客の笑い声とか明るい光を見たらほっとしてきたから、とりあえず部屋に戻ってお風呂に入って。30分くらい経ってお風呂から上がった後は私が一緒に部屋に戻ったんだけど、部屋の窓からゾクッと刺すような感覚がするから外を見たら、さっき歩いてきた帰り道の途中、その部屋からは200メートルくらい離れた場所にワンピースの女の人がまだ立ってて、宿の入り口を見てニヤーって笑ってるんだって。そんな遠くの人間の視線も表情も見えるはずないんだけど、笑ってるのが見えるって言うの。それで、怖さを我慢出来なくなって泣き出しちゃって、飲み会の前に泣いてたのはそういうことだったんだよ。」

俺には赤い傘しか見えなかったけど、その下にはそれを差す女の人が立っていたんだろうかとか、きゃあきゃあ怖がって左に目を逸らした視線の先でその女の人はずっとみんなを睨んでいたんだろうかとか考えてたら聞いた瞬間鳥肌が立った。


投稿者:ボン