それは私が中学二年生のうだるような暑さの夏のことだった。

私のクラスには有名人がいた。
成績優秀、運動も出来てみんなに優しい、さらに見た目もかなりの美人の女の子。名前をAとする。
人が嫌がるようなことでも積極的に引き受け、いつもみんなから慕われていた。
私も重い荷物を運んでいた時に助けてもらって以来彼女のことはとてもいい人だと尊敬していた。

だけどそんな彼女を快く思っていない人がいた。
仮にその子をBとしておこう。
Bの好きな人はAに告白して振られたらしく、Bはそれを根に持ってAに言いがかりにも程があるような文句をつけては取り巻きと一緒にいじめていた。
もちろんAのことを慕う私や他のクラスメイトがAをかばったりBに注意したが、Bのいじめは一向に収まることは無かった。
先生に相談しようとしても、優しいAは
「私が悪いの。私は大丈夫だから」
と笑顔で言ってみんなを止めていた。
Bはそれをいいことにどんどんつけあがり、いじめもヒートアップしていった。
いつもニコニコしていたAもだんだんと元気をなくし、ついに学校に来なくなってしまった。
クラスのみんなはBを責めたが、Bはニヤニヤとしながら
「人のこと弄んどいて平然としてる方が悪いんだよ」
と取り合わなかった。
Aが来なくなってから1ヶ月が経ち、私達は夏休みに入った。
Aを心配して私や他のクラスメートが何回かAに電話をかけたが、Aが電話に出ることはなかった。


八月半ばになり、私は学校で出た夏休みの宿題を提出しに休みにもかかわらず学校へ足を運んだ。
宿題は人権問題と税金問題のどちらかをテーマにした作文を書いてくることだった。
職員室を通り過ぎ、さらに奥にある事務の受付の台に置いてある提出ボックスに作文を提出した時、私はふと自分の教室にヘアピンを忘れて行っていたことを思い出した。
模様付きのヘアピンで、生活指導の先生に見つかれば没収されてしまう。
確か机の中にあったはずだ。外はもう夕闇が迫っており、目の眩むような夕焼けが校舎の窓を染め上げている。
まだ学校の門が閉まるまでには時間がある。
取りに行ってしまおうと私は2階の奥にある教室を目指した。
校舎の中は意外とひんやりしており、外とは大違いだった。
既に薄暗くなりかけている廊下を進み、教室にたどり着く。
私の席は一番後ろの廊下側。ヘアピンはすぐ見つかった。
私はなんだか急に心細くなり、さっさと帰ろうと教室のドアに手をかけた。


ざわっ


背後に強烈な違和感。
まるで後ろからナイフでも突きつけられているかのような恐怖に、背中を何百匹もの小さな虫が這い回っているかのような不快感。
思わず私は背後を振り返った。


教室の中に誰かが立っている。


直立不動の姿勢で背筋をピンと伸ばし、ただただ突っ立っている。
だが、その頭にあたる部分は人間ではありえない角度まで折れ曲がり、下を向いていた。
だが私にははっきりとわかった。

(・・・・・A?)
そう。
背格好も制服の着こなし方も髪型に至るまでそいつはAと全く同じだった。

だがAと違うのは、そいつに影がないことだ。
今は午後の5時半過ぎ。夕暮れに赤く染まる教室の中、もちろん私の影は細長く床に伸びている。
だがソレには影はなかった。
本来机や床など
に伸びているはずの影は全く見当たらなかった。

直感でソレが人間ではないことが分かった。

逃げたかった。今すぐに走ってここの教室から出たかった。
だか私の足はピクリとも動かない。

「・・・・・な・・・で」
その時、ソレが何かを発した。
唸るような低い声で、ソレは何かを呟いている。
私はやっとのことで絞り出した声でソイツに疑問を投げかける。
「・・・・・どうしたの?」

次の瞬間


ガツン。ガツン。ガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツンガツン


ものすごい轟音があたりに響いた。
音の正体はすぐにわかった。
アレが机を殴っている。まるで癇癪を起こした子供のような動きで両の拳をガツンガツンと机の表面に叩きつけているのだ。
そしてそれに混じって聞こえてくるのは、先ほどの唸るような声とは打って変わったヒステリックを起こしたような金切り声。

「ナンデナンデナンデナンデナンデ!!!ナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデ!!!!!!!」
ひたすら何でと叫ぶ声。ガツンガツンという打撃音。
もう限界だった。
私が頭を抱えて座り込み、叫び声をあげようとしたその時、


ぐりん、とそれの顔がこちらを向いた。

今の今まで伏せられて全く見えなかった夕日に照らされたその顔は、まるで影のように暗い闇しか広がっていなかった。
私は夢中で叫びながらなんとか立ち上がり、教室の扉を開けて外に走り出た。
ガクガクの膝に無理を言わせてそのまま家まで走って帰った。
母は顔を真っ青にして汗だくで帰ってきた私を怪訝そうな目で見ながら迎えた。その日は怖くて怖くて、部屋から一歩も出なかった。

それからしばらくして、八月末。
私はAに電話をかけてみた。

「はい、Aです。夕陽ちゃんどうしたの?」
Aは普通に電話に出た。
話を聞くと今まで電話に出なかったのは、Bのいたずら電話や無言電話に耐え切れず、携帯の電話には極力出ないようにしていたらしい。
だが八月半ば頃からいたずら電話がぱったりと止み、Aは安心して電話に出れるようになったらしい。

八月半ば。
私が学校に行き、アイツを見かけたのと同じ時期だ。
さらに詳しく聞いてみると、Aは七月終わりから一昨日まで外国に旅行に行っていたらしい。
じゃあアレは一体なんだったのか?
疑問は払拭されないまま夏が終わり、新学期が始まった。
教室へ行って私は驚いた。
Bが体のあちこちに包帯を巻き、顔にもガーゼを貼っている。

「え、何あれどうしたの?」
傍らの友達に聞くと、
「んー、なんか旅行先で事故ったらしいよ。スリップして車が横転したんだって。」

「へえ・・・・・」
そうこうしていると、Aが登校してきた。
夏休みに入る前の元気の無いのAとは違い、いじめられる前のはつらつとしたAがいた。
「A!!学校来たんだね!」
「大丈夫?ほんと良かったー!」
Aはみんなに歓迎され、どことなく照れくさそうに微笑んだ。

だが、Bは違った。
顔を真っ青にしてがたがたと震え、尋常じゃない量の汗を流している。

やがて耐え切れなくなったのか勢いよく席を立つとカバンをひっつかみ、走って出て行ってしまった。
その時私は思い出した。
アレが一心不乱に殴打していた机は、Bのものだった。
私は思わずBを追いかけた。

「B、B待って!!」
Bの腕をつかむと、Bはひどく怯えてその場に座り込んだ。
なんとかなだめて話を聞く。
要約すると、
・旅行先にアレが現れた。
・アレは走行中の車に張り付き、事故を起こした
・アレは顔が真っ黒で見えなかったが間違いなくAだった。

Bはその後学校に来なくなり、やがてひっそりと引っ越していった。
それから一年して高校生になった私は、ふとその事を思い出し、物知りな祖母に聞いてみた。
祖母はしばらく静かにその話を聞いていたが、やがてぽつりと呟いた。

「そりゃ影だ」
「影?」
「ああ。影は人の心の鏡だ。そのAちゃんも表では我慢していたが、裏では抑えきれないくらい相手を憎んでいたんだろうよ。」

私は何も言うことが出来なかった。

みなさんはなにか溜め込んでいることはありませんか?
もしかしたらそれは影に溜め込まれ、いつか爆発した時に相手に気概を加えるかもしれません。
私にできるのは、もうAやBのような犠牲者が出ないことを祈ることだけです。


投稿者:夕陽