中学生の頃、コックリさんとかキューピットさんとかいう紙と10円玉さえあれば簡単に出来る霊界通信みたいな遊びが流行っていたので私も友達と二人でなんか面白そうだからやってみようかと学校の休憩時間や放課後に恐る恐る試してみると、なかなか面白いので暇があったら二人でやるようになりました。

何度か試していると、どうも同じ人物(存在?)が交信してきている事が分かり、その頃には私達はこの遊びにスッカリ慣れていました。
当初から、私より友達の方が感度が良く霊媒体質なのか二人で押さえていなければいけない筈の10円玉の上にあてた私の指は友達の動かすスピードについて行けずに直ぐに10円玉から離れてしまい殆ど友達が1人で交信している状態でした。

私達はある日いつも現れる存在に対して
「あだ名をつけましょう、例えば えんぴつとか」
と問いかけると10円玉が
「はい」
と動き、そのあと え ん と指すので私はなんだ、えんぴつか…
と思っていると次に指したのが さ
そして最後に C
カッコいいあだ名だなと二人で話しているとABCD…と家族がいるとのこと。

それからはあだ名で呼び出して会話するようになりました。

そしてその頃には友達はもう10円玉は使わず鉛筆と紙で自動書記のような会話の形態をとるようになっていました。

ある日、部活を終えた帰りに友達に
「ジュース飲もうよ」
と言われたのだけど私はその時、お金を持ってなかったので
「お金がない…」
と答えると友達は
「えんさC君に探してもらおう!」
と言い友達が自分の身体にのりうって探して下さいと言うと校庭を前屈みでスタスタと小走りに歩き始め、迷いもなく駐輪場に行ってピタッと止まったか と思うと、その足元に100円玉が落ちていたのです。

私は2回もそのようにして探してもらった100円でジュースを買って飲んだのです。

ある時、友達と校舎の裏の職員駐車場の辺りで話していると友達が
「紙はあるから鉛筆を探して貰らおう」
と言ってまた身体にのりうってもらって砂利が敷き詰められた駐車場をスタスタと小走りで前屈みになって歩き出しピタッと止まったので足元を見ると、そこに鉛筆はなかったので私は
やっぱり無理だよこんな所で鉛筆探すなんて落ちてる訳ないよ
と思っていると友達がしゃがみこんで手で砂利をかき分け始めたのです。
するとそこに4cm位の短くちびた鉛筆が出てきたのです。
そしてまたその短い鉛筆で自動書記の形態で会話を楽しんだのでした。

またある時は友達には絶対に書けないような古典の教科書に書かれている平安か奈良時代の古文のような雅な文章をツラツラと書き始めたこともありました。
美しい言葉だなあと思ったのですが気味が悪かったので捨ててしまいました。
少しだけ覚えているのは、山の頂に鏡が埋められているという部分だけです。山も鏡も○○の山とか○○の鏡と現代の私達には表現出来ない美しい雅な言葉が並んでいました。
私は物凄い勢いで書き続ける友達を見ながら同時に美しい言葉だなあと感動していました。
友達は気味悪くなって途中で中断し二人でその紙は直ぐに捨ててしまったのです。

ある日、私は学校指定で購入させられた国語事典で、あだ名に何か意味があるんじゃないかと思って調べてみたけど載ってなかったと友達に話すと、友達も同じように調べてみたらしく、やっぱり載ってなかったとのこと。
同じ事典だから当然だねと話し、それからは次第に流行りも廃り飽きてきたのですることもめっきりなくなりお互い高校に進学しました。

それから暫くして中学生の頃に使っていたあの国語事典で何気なくあだ名の意味を調べてみると、中学生の頃には何度見ても無かったあのあだ名の項目があって、そこには
抑えきれない憎しみと書かれていました。

中学生の時には何度見ても無かったのになんで?という思いと、あの時にこの意味を知ったら直ぐに止めていたはずだという思いがよぎりました。


投稿者:いっぷく