僕のおばあちゃんが、さっき死んだ。89歳だった。
おばあちゃんは、もともと認知症がひどく、話も通じないし、食事も僕のお母さんの介助がないと自分では全く取れない状態だった。見た目もやせ細っていて、いつ何が起きてもおかしくない状態なのは誰の目からも明らかだった。
不整脈か何かで突然心臓が止まってしまったんじゃないかと思われるが、はっきりとした原因はわからないと医者は言っていた。
義理の娘にあたるお母さんは、本当に毎日献身的におばあちゃんの介護をしていた。若いときは、嫁姑問題でかなりもめたこともあったそうだが、おばあちゃんが動けなくなってからは、専業主婦のお母さんが、10年近く、食事、排泄、入浴の介助も含め全部しているのを見てきた。おそらく仲は良くなかっただろうに、本当に尊敬できる母親だと思う。

通夜は次の日にすぐ行われた。駆けつけた親族はみな、表情は明るく、昔話に花を咲かせ、ビールを飲み、寿司を頬張りながら、おばあちゃんの大往生を祝っているようにも見えた。
ただ、お母さんだけは暗い顔をしていた。おばあちゃんが死んでいるのを発見したのはお母さんだが、発見するのが遅かったのを気にしているのだろうと周りが心配し、みな「しょうがなかったよ」と慰めている。

でも、本当のことを知っているのはおそらく僕だけだろう。僕は朝、偶然見てしまった。
その日の朝、お母さんは、おばあちゃんに大量の薬を飲ませていた。確か、おばあちゃんはオシッコをたくさん出す薬を飲んでいたと思うのだが、おそらく、その薬をたくさん飲ませていた。認知症で訳が分からなくなっているおばあちゃんに、次から次へと・・・。見たところ20錠近く飲ませていたようだ。
おばあちゃんが死んだのはその昼だ。思うに、オシッコが出過ぎて、脱水になって死んだんじゃないかと僕は思っている。見るからに脱水になりそうなおばあちゃんだったので、医者も何も疑わなかったのだろう。
僕は、何も言わなかった。お母さんが、介護で鬱になっているのを知っている
からだ。誰が悪いのか。認知症になったおばあちゃんは悪くない。でも10年以上介護してきて、鬱になってしまったお母さんをそんなに責められるだろうか。
むしろ、仕事の忙しさにかまけてほとんど世話をしてこなかったお父さんとか、部活や受験のことばかり考えて同じく何もしていなかった僕の方が悪いんじゃないか、と思った。おばあちゃんの遺影の写真は、幸せそうな顔をしているように見えた。

その日の夜、僕は自分の部屋で寝ていると、ふと目が覚めた。何か怖い夢でも見たような気がするが覚えていない。ベッドの隣を見てみた。おばあちゃんがもしかしたら枕元に立ってるんじゃないかと言う気がしたが、そこには誰もいなかった。目をつぶるとまたすぐに眠りに落ちた。
すると夢の中におばあちゃんが出てきた。おばあちゃんはニコニコ笑っていた。

「隆、今までありがとうね、おばあちゃんは隆の顔を見るのが一番幸せだったよ。ありがとう。」
おばあちゃんは言った。優しい声をしていた。
「う、うん。」
僕は、ちゃんと返事できなかった。おばあちゃんがまともに話す声を聞くのなんて何年ぶりだろうか。それともただの僕の想像なのかな。
「あと、お父さんにも伝えて欲しいんだ。立派に育ってくれてありがとうって。おかげで安心してあの世に行けるよって。」
「分かった、伝えておくよ。おばあちゃんも、僕が小さい時とか色々面倒見てくれてありがとう。楽しかったよ。」
そう言うと、おばあちゃんはまたニコニコ笑っていた。
でも、僕はそれ以上おばあちゃんの顔を見ることができなかった。たぶんこれじゃない。おばあちゃんが夢に出てきて言いたかったのはこんなことじゃない。おばあちゃんの目は、笑っているようで、笑っていない、そんな目をしていた。
嫌な予感がした。
「あと、それとね、もう一つ、お母さんにも伝えて欲しいことがあるんだ。」
全身に鳥肌が立つのを感じた。声が明らかに低くなった。まるで男の声みたいだ。嫌だ、聞きたくない。そうだ、さっきはここで夢から覚めたんだ。ここで起きよう起きようとがんばってなんとか起きることができたんだった。僕はまたなんとか目がさめるように「起きろ起きろ!」と念じたが、夢は続いた。
おばあちゃんは言った。
「一 生 呪 っ て や る。車 乗 る 時 は 気 を つ け な。」

僕ははっと目が覚めた。全身に汗をかいている。時間を見ると深夜2時だった。
嫌な夢を見た。

次の日、朝寝坊して起きた時には、お父さんはもう告別式の準備で出かけたあとだった。お母さんは、おばあちゃんが死んで介護がなくなったことで、やっぱり、明らかに体調が良くなっているように見えた。お母さんと二人で朝食を食べた。

「ねえ、お母さん。」
「なに?」
「今日の告別式って何時からだっけ?」
「午後1時からよ。お母さんはちょっとその前に、おばさんのところに行かなきゃいけないから、隆は時間通りに必ず来るのよ。昨日使った黒いネクタイと、数珠はもってるわよね?」
「大丈夫。ちゃんと部屋にあるよ。」
「そう、良かった。」
テレビでは、朝のニュースを、鼻の穴が目立つアナウンサーが放送している。今日は雨はふらないようだ。
「ねえ、お母さん。」僕はまた言った。
「なに?」
「昨日ね、おばあちゃんが夢に出てきたの。」
お母さんの箸がピタッととまった。目は、白いご飯をまっすぐ見つめているが、実際はなにも目に入っていないのだろう。
「おばあちゃん、何か言ってた?」
僕は慎重に言葉を選んだ。
「おばあちゃんね、お母さんに、いままで世話してくれてありがとうって言ってたよ!本当に嬉しかったって。幸せだったって。」
お母さんは少し俯いて前髪が顔に垂れた。顔をあげると、少し目頭が赤くなっていた。
「そう、ありがとう、嬉しいわ。」
「うん。」それ以上は言葉が出てこなかった。

話題を変えようと思った。
「おばさんのところには何しに行くの?」
「ちょっと、告別式に必要なものをいくつか借りに行こうと思ってて。荷物は少し多いけど、まあ、車で行けば大丈夫かなって。」
「えっ。」また、鳥肌がたった。
「車で行くの?」
「そうよ、だって荷物多いもの。」
「ダメだよダメ!絶対ダメ!だってお母さん、昨日もあんまり寝てないじゃん!危ないよ!」大声を出していた。
「大丈夫よ。そんなの。あたし、車の運転結構上手だし。」
「お願い、頼むから今日は電車で行って!お願い、嫌な予感がするんだ。」
「何よ、嫌な予感って?」
「事故起こしたりとか?」
「絶対大丈夫よ、そんな。」・・・
そんな押し問答を続けて、一生のお願いを2回ぐらい使って、なんとか、お母さんを説得して電車で行ってもらうようにお願いした。お母さんは出て行った。

その後、隆は、自分の部屋で休んで、スマホをいじっていた。すると、ヤフーニュースの速報が入ってきた。
《埼京線が脱線し、横転して、乗客に多数の死傷者あり。》
え、これって、もしかして・・・?
その時、すぐ耳元で声がした。
「隆、あ り が と う。」
それは、間違いなく、おばあちゃんの声だった。

                            終わり


投稿者:こむぎ