誰も信じちゃくれないだろう。
そんなことは重々承知の上で、俺は今これを書いてるんだ。
これを読んでるお前らが、いつも俺がいる世界の人間かどうかはわからない。
いや恐らく、違うんだろう?
お前らの姿も今まで遭遇した奴らと同様、頭から硫酸でもかけられたかのようにドロドロに溶け、今にも爛れ落ちそうな皮膚からビュッビュッと音を立てて噴き出す膿汁を、端末やデスクトップの画面に撒き散らしながら、これを読んでいるに違いないんだ。
……なんのことはない、普通の朝だった。
けたたましく鳴る目覚まし音に苛立ちを覚えつつ、ベッドから上体を起こした俺の目に飛び込んできたのは、見馴れた自分の部屋。

――――ではなかった。

部屋にあるもの一つ一つは、とても見馴れたものばかりだった。高校の制服、勉強机、その隣に置かれた大きめのフィギュアケース、一度しか触ったことのないエレキベース、深いブラウンの扉……

その全ての位置が、逆だった。

動かせる物ならまだわかる。昨日は俺自身が考える以上に疲れ果て深い眠りに入った、もしくは睡眠薬でも盛られて強制的に眠らされたか……どちらにせよ、誰かしらの悪戯で部屋の物の位置を左右逆にしてしまうことは、まぁ出来るだろう。
しかし、扉の位置だけは流石に無理だ。
自分の頭を疑うというよりも、これはまだ夢の中か、眠気眼がそういった幻覚を俺に見せているかとも考えた。
夢ならばいい。しかし、覚める気配がない。
もしこれが現実なら、すぐにでも支度を始めなければ学校に遅刻してしまう。こんな状況よりも、あんな糞の掃き溜めのような場所に向かう事を優先している自分自身に疑問を抱きつつ、いつもと逆にあるクローゼットのノブに掛けてある制服に素早く着替え、母が朝食を用意してくれているであろうリビングへと向かった。

予想通り、逆になっているのは自分の部屋だけではなかった。
俺の部屋の右隣に位置する妹の部屋は左に、俺の部屋から出て左に進めばあるはずの階段は、右になっていた。
自分の部屋もそうだが、いくら見馴れた場所でも左右が逆になるだけで、こうまで違って見えるのか、さらには平衡感覚を失い気分が悪くなるのかと驚くばかりだった。
俺の苛立ちはピークに達していたし、同時に、何とかしなければいけないとも思った。
まずは母に相談してみよう。俺が学校でイジメにあった時も、一番に俺を庇ってくれたのは母だ。母ならなんとかしてくれるに違いない!
慣れない左右逆の空間をフラフラと歩き階段を降り、正面に見える玄関はそのままだったために油断した俺は、降りて右側にあるはずのリビングへ続く扉ではなく、今はただの壁に体当たりをしてしまった。
壁に当たった衝撃で尻餅をついた俺は、今は逆のリビングに続く扉、そのノブがカチリと音を立てるのに気付いた。
優しい母の顔。その顔が、突然の音に困惑し心配そうに眉をひそめているのを想像しながら、俺はそのままの姿勢で振り返った。

だが……そこにいたのは、母ではなかった。

顔の皮膚はブヨブヨに垂れ下がり、しかし目は今にも飛び出てきそうな程に突出し左右あらぬ方を向いており、唇は歯茎まで見える程に開かれているか、もしくは唇そのものが欠落していた。歯を噛み締めすぎているのか、歯茎からは血がダラダラと滲み出ている。
しかしそれ以上に、皮膚からとめどなく飛び散る膿汁の量と悪臭。
言語が無いのか、舌がないのか、先程からこちらに向かって放っているであろう意味不明な声らしき音はなんなのか。
こんな奴が、母なわけがない。
醜い顔と膿汁にばかり注目していた俺の目に、コイツの手に握られている、母愛用の包丁とエプロンが目に飛び込んできた。

まさか……いや、そんな……!!

母は、こんな醜い化け物に殺されてしまったのか?
優しい母の顔が目に浮かぶ。いつでも、どんな時でも、俺の味方をしてくれた母。
俺は殺されない。俺が、母の仇を討つ……!
すぐさま体勢を立て直した俺は、醜い化け物めがけて頭から突進した。
衝突と同時に大量の膿汁が飛び散り俺の身体にまとわりついたが、怒り狂った俺には関係なかった。
化け物はリビングの扉から真っ直ぐ奥にある食器棚まで吹っ飛び、衝撃で落ちて来た食器とその破片で、至るところを切り刻まれていた。
しかし、まだ息はある。
俺はソイツから、母が愛用していた包丁をひったくり、滅多刺しにした。
身の毛も弥立つうめき声と血と膿汁を撒き散らし、化け物は驚くほどあっさり息絶えた。
母の仇討ちに酔いしれる間もなく、開かれたリビングの扉には、どこから現れたかもう一匹の化け物がいた。

「まだいたのか……!」

今しがた化け物を滅多刺しにした包丁を握りしめ、もう一匹の化け物に飛びかかろうと脚に力を溜めた刹那。もう一匹の化け物は、その醜く寸胴な見た目に反し、凄まじい速さで玄関へ駆けた。
すぐさま後を追ったが、化け物はすでに玄関を開け外に逃げ出していた。なんて速さだ!
そこでふと、俺は妹の無事を確認しなければいけないと考えた。
あんな化け物が外をウロつけば否応なしに目立ち、警察に必ず捕まる。
今は家族の安否が最優先だ。俺は妹の部屋に向かって駆けた。
妹は部屋にいなかった。化け物が二階に上がらなかったか、危険を察知した妹は、裏口から逃げ出したに違いない。そう信じたい。
そもそも、陸上部に所属し、短距離走で目覚しい活躍をしている妹が、あんな化け物に捕まるはずがないんだ。朝練にでも行っているのかもしれない。
父は出張中だ。自分がいない間に、あんな化け物に最愛の人を殺されてしまった父の事を思うと、俺はようやく涙が流れ、そしてまた怒りに震えた。
やはり、俺が殺そう。母を殺した化け物の仲間は、根絶やしにしなければいけない。

俺はすぐに奴の後を追おうとしたが、毎日欠かさず服用している薬を飲み、家を飛び出した。
化け物を滅多刺しにして返り血を浴びた服は着替え、母愛用の包丁を抜き味で持ち歩くわけにはいかないので、包丁はリビングに畳んであった百貨店の紙袋に入れた。

奴を探し走り回る俺の目に飛び込んできたのは、全てが逆になった世界――だけではなかった。
すれ違う、化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物

街は、化け物の巣窟と化していた。
それを見て、俺は思ったんだ。
これは平行世界ではないかと。
いつもいる俺の世界と並行して存在する、皮膚が垂れ下がり膿汁を撒き散らす化け物達が暮らす世界。
俺は何かが引き金となり、この世界にやってきてしまったんじゃないか?
理由は全く分からないが……むしろ、奴らから見て俺は、逆に化け物なんじゃないのか?
しかし、襲ってくる気配はない……何故?
それどころか、化け物の爛れた皮膚は、徐々に常人のそれになりつつあった。

そういえば、化け物を探している最中、疲れて立ち止まった休憩中にこれを書いているんだが、昨日……

毎日欠かさず服用している精神安定剤を飲むのを、忘れていた気がするんだ。


投稿者:おにゃんこぽん